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2021-09-25
[コラム]
7年前の国際オリンピック委員会、当時の総理は「福島はアンダーコントロール」とアピールして無理に誘致、東日本大震災からの「復興五輪」との掛け声だった。それが「コロナに打ち勝った証としての五輪」と言い替えられた。実際には第5波とも言われる感染急拡大へ向かっての開催となった。無観客開催とはいえ各国代表選手による競い合いや日本選手の金メダルラッシュなど競技そのものは感動的でもあった。
しかし国内の聖火リレーは3月にJビレッジからスタート、開会式に先立って福島県営あづま球場では女子ソフトボール、これらは「福島復興」を世界にアピールするチャンスであったはず、と残念に思った人々はいかほどだったろうか。「福島の桃はデリシャス」との出場選手によるSNS投稿が世界に広がることを期待したい。
しかし東日本大震災・原発事故からまだ10年、福島が背負う問題への認識が薄められてよいはずはない。なかったことにはできない、汚染土の処分やALPS処理水の海洋放出、第一原発の廃炉作業などなお残された問題はたいへん重い。当時、多くの県民が抱いた「原発さえなければ」との想いをかき消されないようにしたいものである。
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(M)