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闘魂こめて

2020-09-29

[コラム]

闘魂こめて

 「泣いて生まれて響く命、きっと嬉しくて笑っているんだ...」

 2020年コロナ禍の中、全国の朝のお茶の間に文字通りエールを送り続けてきた古関裕而先生の一代記。11月に大団円を迎えるようであるが、大いに福島を盛り上げて下さった。

 "人生の本舞台は常に将来にあり"平成元年にご逝去なされてから30年以上を経た令和の時代に先生の全人生が蘇りました。「福島のこと誰も知らねぇじゃねかよ」先日立ち寄った書店でカンニング竹山さんの書を目にした時(本の内容と古関先生は無関係でしたが)古関先生に対しての私の認識の無さが思いおこされました。

 私は福島生まれであり先生の事は当然存知挙げていましたが、「君の名は」をはじめ幾多の有名な曲を作曲されていたことに驚きました。私は叔父(故人)が、王監督の時代の巨人軍の広報担当をしていたこともあり、また叔父の仲介で小野町でのJC県大会で長嶋茂雄氏の後援会が実現したり等もあり生粋の巨人ファンで、東京の叔父の家でテレビ観戦や球場で応援等していました。

 特に巨人阪神戦は夢中でしたが、もう時効でしょうが、実は叔父夫婦は阪神ファンでして、私と父と祖父が阪神に逆転されてがっかりしている時、嬉しそうにしていた姿を思い出す事でした。叔父の名誉のために申し添えますが、広報担当をしている時は一所懸命巨人軍のために東奔西走しており、巨人軍50年史の編集もしました。

 その様な環境でしたから、巨人軍の「闘魂こめて」は一生懸命歌いましたし、「大阪タイガースの歌」六甲おろしは敵の歌として頭に残っています。それがなんと両方とも古関先生が作曲されていたと知り二度びっくりで、まさに灯台もと暗し「古関裕而の事なんも知らねぇじゃねかよ」でした。

 その時代時代で、応援歌、軍歌、甲子園、長崎の鐘、東京五輪、札幌五輪と日本国民にエールを送り続けてこられた古関先生の人生にただただ首を垂れるのみであります。

 コロナ禍で日本全国、世界全国が経済縮小している中、古関先生のごとく私も"積小為大"の精神で「闘魂こめて」を歌いながらコロナ後に向かって行きたいと思うことでした。

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石川 和広/石川医院(三春町)